Facebookアプリに思う ●●判定、●●診断的な診断コンテンツの流行について

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昔から血液型性格診断的なものが嫌いだ。占いレベルなら笑って済ませれるが、たまに真剣に血液型による性格分けを信じている人がいて困る。知りあってずいぶん経ってから私の血液型を告げると、膝を打って納得顔をする人がいるが、勝手に納得しないでください。(ああそうですよ。私は■型ですよ)

私を知ったうえで、(それが正しいか正しくないかは別にして)■型の性格として挙げられている気質が私に多くあることは認めてもいい。私が嫌だなと思うポイントは■型だからということから演繹的に私がどういう行動、どういう発言を行うかを類推するような輩だ。そんな簡単に人のことが分かったと思うなら大間違いだ。
血液型を例に出したが、何ごとによらず私は人を安易にタイプ分けする風潮が嫌いである。だから私自身も人を分かった気になるようなタイプ分けとレッテル貼りはなるたけ控えるようにしているつもりだ。(あくまで出来るだけね)

前置きが長くなったが、Facebookのタイムラインを流れてくる友人・知人のフィードを見ていると、去年の秋あたりから●●判定、●●診断的なアプリの勢いがすごい。本当にみんなこういう診断コンテンツが好きなんだなと思う。

何故みんなこういう診断コンテンツが好きなのか?また、こういう傾向は日本だけなんだろうか?と色々と考えさせられる動きではある。

も一つ言うと、企業のマーケティング、PR施策としてどれだけの効果があるのか疑問でもある。バズ的な施策を否定するつもりは毛頭ないが、他のバズ施策と比べてスポンサー企業に与えるPR効果が弱い点と施策そのものの賞味期限が異様に短い点が気になる。

企業のPR効果なんてそんなもんだと言うこともできるが、それにしても企業からしたら作り損ではないだろうか。いずれにしろこういう診断コンテンツを作る際は、なぜその企業が実施するのかある程度納得できるだけの必然性が欲しいところだ。

話を戻して、何故こういう診断コンテンツが人気なのかについての自分の考察を述べたい。あくまで後付けの説明であるが、私が思うに、一つは単純に遊びとしての面白さ、二つ目はタイプ分けされたい欲求とそこから来る自己顕示欲がこの手のアプリのヒットの要因ではないかと思う。

一つ目の説明は置いておいて、二つ目のタイプ分けされたい欲求について述べると、冒頭に私が述べたようなタイプ分けしたい欲求の逆、自分自身をタイプ分けしてもらいたいという欲求があるように思う。

たとえば、先週ぐらいから人気の戦国武将判定。自分の性格診断の結果を戦国武将で表現してくるアプリだ。次のテキストはその回答の一つだ。

●●は遅生まれの英雄【伊達政宗】タイプです。東北の雄、独眼竜といえば伊達政宗。大胆不敵な行動とは裏腹に料理好きな一面も?生まれた時期が早ければ天下を取れたかもしれません。あなたが戦国武将なら誰タイプ?判定してみよう!

この回答がその人自身のパーソナリティをどこまで正確に表しているかは別にして、その人の説明になっていることは事実だ。

このアプリの存在を抜きにして、たとえば自己紹介などで「私の性格を戦国武将で言うと伊達政宗タイプです。大胆不敵で・・・・」と説明すれば、案外聞いているほうはへ~っと通り一辺倒の自己紹介よりもよっぽど聞いてしまうのではないだろうか。

だが、自分で自分のことを伊達政宗タイプと結論付けるのはなかなかに難しい。伊達政宗タイプと結論付けるためのロジックの妥当性は別にしろ、自分が伊達政宗タイプであると決めてもらうところにこの手のコンテンツのベネフィットがあると思われる。そしてそれをみんなに見せたいんだよね。

最後に最近のこの手のアプリの、提供元企業とリリース日および私がTL上で知った日をまとめておく。

あなたの活躍予報~幕末編
提供元:株式会社 Positive-Z
リリース日:1月16日
TLで見た日:1月22日
到達日数:6日

戦国武将判定
提供元:バリュークリエーション株式会社
リリース日:1月16日
TLで見た日:1月22日
到達日数:6日

仕事脳判定
提供元:株式会社エイムラック
リリース日:1月18日
TLで見た日:1月20日
到達日数:2日

一年戦争診断
提供元:株式会社バンダイナムコゲームス
リリース日:1月19日
TLで見た日:1月20日
到達日数:1日

最後のガンダムのアプリは他と毛色が違うか。

いま気づいたのだが、どれもリリース日から自分が知るまでに数日を要している。Facebook以外で認知したものは無いことを考えると、アプリを知るのは自分がつながっている友人たちからのTL以外にない。自分の友人達も同じであるはずなので、情報感度の高い友人とつながっている人は当然、リリース後の早い段階で知ることになるはずだ。

リリース日から自身が知る日までの日数を計測することによって、Facebook上、つまりソーシャル上でのロジャースの普及モデルのようなものを創ることができるのでないだろうか?

ごくごくたまに「えっ?なぜいまさらそのアプリ?」ということがあるが、これはソーシャル上での情報に対する立ち位置がロジャースの普及モデル的にレイトマジョリティあるいはラガードな人なのだろう。(なぜいまさら?の理由としては、最近Facebook始めたからというのもあると思う)

とまあ、最初にタイプ分けを否定するようなことを書いておきながら、自分でもタイプ分けしちゃってるという、矛盾しまくりな最後になってしまったけど、今年はこまめに自分自身の気づきをブログに残していこうと思う。

あけましておめでとうございます。

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