「奴隷船」という言葉が思い浮かんだ時のことはよく覚えている。あれはちょうど10年前、東京にいたころだ。大学を卒業して僕は新卒として東京のとある広告代理店に入社した。てっきり関西で働くことになると思っていたら、入社直前に東京に行くことが急に決まった。今思えば無理をしてでも一人暮らしをするべきだったと思う。そのときはピンポイントでお金に余裕がなかったので、あくまで当座の住まいとして埼玉は新所沢の叔母の家に居候することになった。そこで僕は生まれて初めて毎日、電車に乗るということを経験した。
新所沢から会社のある淡路町までは、西武池袋線で池袋まで出て、池袋から丸ノ内線に乗り換える(正確には所沢で新宿線から池袋線に一度乗り換える)。ドアツードアで1時間20分、乗車時間は都合1時間だっだろうか。その1時間の乗車時間の間、密集した人柱の間の僅かな虚空を見つめながら、僕は毎日呪詛の言葉を吐いていた。
いわゆる満員電車に初めて乗ったときは何かの冗談かと思った。だってこんなに身体が密着して身動き一つとれやしないのに、誰も不満の声をあげるでもなく怒っているそぶりすら見せないんだもの。
僕なんかは身体を押されるたびに押してきた方向に向かって舌打ちをしていた。二、三回押されるたびに関西弁の口調で「押すな!」と怒号をあげていた僕は、他の乗客から見たらさぞかし滑稽だったと思う。
そのころの僕はまるでもぎたてのキュウリのように青々とフレッシュだった。まがりなりも新卒で入社し、東京という新しい街で期待を胸に新社会人としてのデビューを飾ったつもりだった。
しかし、毎朝、毎朝この高速道路で言えば過積載で検挙間違いなしというレベルの満員電車に乗り続けていると、青々としたキュウリはいつのまにか腐臭を放つように腐っていった。
もとよりなにも電車だけでなく、乗り物全般に弱かった僕は、ただでさえ乗り物酔いで嘔吐感MAXのなか、人間の不快指数の限界を超える圧迫と密着の日々に気が狂いそうだった。
最初の1週間や2週間はまだ気持ちの昂ぶりでなんとかやり過ごせていた。しかし、1週間が1ヶ月になり、1ヶ月が2ヶ月になるころには、すっかり僕の意思の力はすり減ってしまっていた。あんなに抽象的な何かを呪ったことはかつてなかったと思う。
腐った魚のような目で電車に揺られ、わずかなスペースを見つけては安堵を感じるようになった時、僕は思った。これは、現代の奴隷船だって。
もちろん電車に酔うこともなく、二時間を超える長時間、満員電車の苦痛を感じることなく平然と澄ました顔で楽しく読書しながら通勤しているような人がいることも知っている。そんな人にとっては失礼な物言いだということは分かっている。
けれどもその時の僕には、一分の隙もなくぎっしりと詰め込まれ、労働力を提供するためにだけにゆらゆらと揺られながら運ばれる労働者の群れは、奴隷船にしか見えなかった。
頭の中では「革命」「レボリューション」「Riot」「Anarchy in Japan」といったフレーズが鳴り響いていた。
そんなことがあったのももう10年前のこと。冒頭に書いたように今では通勤徒歩圏内のところに住んでいる。仕事で電車に乗るのは取引先に行くときや出張で出かける時ぐらい。
2年前に煙草を吸うのをやめてからは、以前ほど酒に酔わなくなったと同じように乗り物にもあまり酔わなくなった。もちろん他の人よりは酔う。また、関西の満員電車は東京ほどの混雑ではないことも知っているので、昔ほど通勤電車に対する心理的ハードルは無い。あるとすれは時間ぐらいだろうか。
とはいえできることならばもう二度と満員電車と通勤電車は味わいたくない。
そうそう、先ほど書いたようなこと以外にも満員電車についてもう一つ思っていたことがあった。鉄道会社に対して言いたいことがある。
僕は満員電車とガラガラに空いている電車で同じ運賃ということに納得できない。少なくとも乗車率100%を超えた場合は、正規の運賃から何割か安くするなりなんなりとするべきだと思う。法律上は何ら問題ないのかもしれないが、過剰な詰め込みを行いながら運行している鉄道会社は、乗客に著しい苦痛を強いて要ることを真摯に認め、しかるべき処置をとるべきだと思う。同じ距離を移動するのにグリーン車と普通車で料金が違うこと以上の隔たりが、満員電車とガラガラに空いている電車の間にはある。
まったく。
コメント
お気持ちはわかりますが…
混み出す前の電車に乗ったり、ついていればグリーン車を使ったり、通勤方法や、あなたのように居住地を変えるなど、方法はありますから。
2014/02/04 07:54 by むきむきポン URL 編集