違和感を感じない自分に違和感。

なんかね。

最近“違和感”を
忘れていた気がするのですよ。

どういう違和感かと言うとね。

もう生きてくうえでの自分と
社会との違和感全てですわ。

ほんまに。

違和感の最たるものは言葉に対するもの。
たとえば「社会人」という言葉。

「社会人として当たり前」
「社会人●●年目」
「社会人ってシンドいね」

自分でも「社会人」って言葉を使うしね
人が使ったりするのを違和感無く聞きますよ。

けれどもね。

そんな昔ではない20代前半の頃の僕はね、
この言葉が大々的に大っ嫌い(なんかの曲名みたいやな)。
だったんですね。

ほんまに。

「社会人」という言葉のどこに違和感を感じたか?

社会人という言葉を使うってことはね、
その言葉の裏には社会人に非ず、
「非社会人」というものの存在を
認めてることになると思うんですよね。

非社会人。

そんな存在ってありますか?

ないですよね。

たとえ親に養ってもらっている
ちびっ子であっても
この社会に存在している以上
社会人なわけでね。

それが、小学生、中学生、高校生、大学生であっても同じでね、
学生であろうがこの社会に生きる存在には
変わりがないと思うんですよ。

たとえば、
「4月から社会人」みたいな言葉を聞く度にね、
いやいや4月からじゃなくて、生まれた時から
社会人ですけど、なにか?

みたいな反感をね。

社会人という言葉を使う人間にも
社会人という言葉にも
覚えていたんですよね。

まあ、この違和感を深堀りするとね。

自分で独立した生計を営む人間を
社会人と呼ぶとするならば
そうじゃない人間は社会人じゃないってこと?

いや、たしかに独立してないから
経済的には半人前だし
スネカジリではあるわけですよ。

けれども、そんな人間であってもね
この社会で生きてるわけだから
社会人であることには間違いないでしょ。

あえて社会人という言葉を使って
非社会人とは違うんだということを
表す必要はないわけでね。

ほんまに。

そんな違和感を感じるような言葉のストックがね、
100個じゃきかないぐらいあったんですよね。

それがね、
いまじゃあすっかり違和感なく自分でも
社会人という言葉を使っている自分がいてね

なんだかこう自分自身に対して一番違和感を
感じてしまったんですよね。
ほんまに。

他にお前はどんなことに違和感を感じてたのかって?

それはね。

おいおい、ぼちぼち気が向いたら
ここで明らかにしていこうと思ってますわ。

とりあえず、今日はこのへんで。

違和感。

大事にましょう。

ほな。

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